さよならはいわない。

i will never say good-bye,my love

夜をよぎり追いかけて夜間飛行

「夜間飛行」と書いて「ミッドナイトフライト」と読みます

 

いやー、やってくれますねー

親愛なるうさぽん

 

usaponchan.hateblo.jp

 

昨日更新された記事内で、俺のこと

とっても素敵に紹介して戴いてくれてました

 

ありがとう

 

これを受けて、何れ彼女に

10倍返しのアンサー記事を書こうと決めたよ

 

てか

うさぽんコミュというか

うさぽんファミリー

 

その

皆々さまが

また素敵で

 

類は友を呼ぶと云いますが

うさぽんの人柄でしょうね

 

はてブでそんな繋がりを持てたことにも

感謝しかありません

 

ありがとう

 

北ウイング

北ウイング

 

2日連続で中森明菜コピってみた

 

また楽曲についてぐぐってみたら

リリースは1984年の初頭で

わらべの「もしも明日が…。」と同時期らしい

って、わかるかな?汗

 


【5/22 nØzomyu オトナ☆チャレンジ】

 

仕上げてから聴いてみると

サビはルート弾きの方が良いと思ったので

そうすることにする

 

実は私

「北ウイング」というタイトルの意味が判ったの

20代も半ばになってからのことだ

 

髪の毛を伸ばしたかったから

カラオケスタジオで働こうと思い

 

だけど夜勤は嫌だったので

日勤希望で面接受けたんだけど

 

勤務初日から辞めるまで

何故かずっと深夜シフトだったw

 

途中「社員になれ」と云われたけど

 

俺はカラオケ屋になることではく

バンドで食うのが目的だったので

 

3年間アルバイトで通したのだが

 

社員旅行の特別枠?

各店舗の店長に推薦されると

それに参加出来る権利みたいなのが貰えたのね

 

で、俺

勤務管理とか売上管理とか

店長がやるような仕事を殆ど任されてたのもあって

 

「今年はお前が行って来い」みたいなノリで

社員旅行に参加することとなった

 

しかもグアム

人生初の海外

 

「とりあえずパスポート作って来い」

それだけしか云われた記憶がないから

 

多分、タダで行かせて貰えたんだと思う

 

今思えば

考えられない程の高待遇だ

 

1時間待ちでも

それでも歌いたいっていう

カラオケ全盛の頃だったし

きっと儲かっていたのだろうけど

 

だけど俺

小学生時代に沖縄へ行って

トラウマになるくらい酷い日焼けして

 

なので南国はちょっと…って感じで

 

北海道の中ででも際立って色白だったので

自分にとっては「日焼け=火傷」なのだ

 

まぁそれでも

出来る限りの日焼け対策は施して

現地入りをした訳ですね

 

すると

路上でシルバーアクセを売ってる外人さんに

いきなり声掛けられて

 

あ、こっちが外国人か

 

あの松崎しげるをも凌駕する

漆黒の肌色をした売人が

 

オニィサン白イネ!ホッカイドー!!」

 

どうしてわかった!?

 

・・・

 

話を巻き戻して

 

初の海外旅行、すなわち

初の成田空港上陸ってことで

 

そこで初めて目にしたのが

 

野々村真

 

なんだけど

それは関係なくて

 

「北ウイング」

 

というターミナル名

 

北の大地で生まれた少年が

やがて大人になり

海外に出る機会を与えられなければ

 

一生知り得ることはなかったであろう

 

というエピソード話。