あの夏の輝きはもう届かない幻
昨日の記事を書いてみたところ
あの頃の思い出が甦って参りました
中学校の予餞会ライヴは
その学年を代表する
ヤンキーたちの通過儀礼の様相を呈し
私が一年生当時の三年生は
ザ・モッズのコピーバンドでしたが
翌年の卒業生は
北海道で大人氣のフラットバッカーで
私の世代のときは
44マグナムでした
…もっとメジャーなの演れよって感じですよね
演奏に圧倒はされましたが
何れも盛り上がりには欠けました
私が地元の高校に進学した頃
BOØWY人氣は絶頂を迎え
所謂「空前のバンドブーム」が到来します
もう世間では
「エレキは不良」の風潮は薄らぎ
町中ではギターやベースを背負って
自転車に乗る中高生の姿を
割とよく見かけるようになりました
私は帰宅部だったので
家に帰れば
ベースを弾きまくる毎日
それしかやることがなかったから
腕はみるみる上達したと思われます
同級生のBOØWYバンドで
時々弾かせては貰ったけど
そこには既に
正式なベーシストが在籍しておりました
なのでバンド単位ではなく
基本はひたすら個人練習の日々
中学の頃とは違い
高校は地元以外の
隣町から通う生徒も少なくはなく
どちらかというと私は
そんな連中と仲良くしてました
私の実家は駅の近くにあるので
ダイヤが数時間に一本という
汽車通学やバス通学をする者に
恰好の待合所としてうってつけ
放課後の数時間は
溜まり場と化しておりました
その絡みで
友だちの友だち
隣町に住む友だちも増えて
人間関係が拡がった時期ですね
BOØWYが解散してからは
レッドウォーリアーズをよくコピーしましたが
未だバンドを組むには至らず
レッズ解散の後に
ZIGGYを知った私は
これこそが自分の
本当にやりたい音だと感じました
細かい経緯は忘れたけれど
やがて私は
他校の友だちと
人生初のバンドを結成します
高校三年生になったときでした
バンド名は
【それゆけ!R&R BAND(ロックンロールバンド)】
決してふざけてはいません
ZIGGYのインディーズ時代の
ミニアルバムから取ったのです
私が通う高校の
夏の学校祭でのステージに向けて
メンバー三人が住む
網走の街へ
茶色いソフトケースに入ったベースと
一緒に汽車に乗り込み
片道一時間かけて
何度も通いました
練習はスタジオではなく
農家の倉庫で行われました
そもそも
リハーサルスタジオなんて無かったし
これが当時の田舎バンドの
ごく一般的な練習風景でした
雑誌の通販で
衣装も揃えて
いよいよ本番当日
薄化粧を施し
体育館の舞台の袖まで来たとき
私は
一人の教師に止められます
「メンバーに他校の生徒が居る
他校の生徒を
本校の学校祭に出す訳にはいかない」
クラスメイトをも巻き込んで
揉めに揉めた末
結果バンドは
その場に立つことが
許されることはなく
私の初めてのステージは
幻となって消えたのです。