シリーズ完結編です
①~⑥迄で
私と父の間で起きた
数々の抗争を綴って来ました
ですがもうこの先
父といがみ合うこともないでしょう
その理由は…
コチラの記事に書いた通り
本日にて
私の実家である
タカハシ時計眼鏡店は
閉店となるからです
この件に関して
父への労いの言葉を
母より促されおりましたが
今日まで私は
沈黙を貫いて来ました
何故ならば
今日この日が
父へのはなむけの言葉を贈るには
最適な日であると考えたからです
で
このブログにより
文字に起こして
過去を葬ることに成功しましたので
本日はこの場で
父へと宛てたメッセージを
創って行こうと思った次第です
以下完全なる私信となりますが
どうかご容赦ください<m(__)m>
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父へ
父さんがどんな思いで
今日この日を迎えたのか
俺にはわからないけど
先ずは長い間
本当にお疲れ様でした
こないだkj(弟)が云ってたように
昔は店が年中無休だったから
俺たちの学校が休みの日でも
あまり家族で出掛けた記憶はないけど
俺にとっては
その数少ない思い出の一つ一つ
それぞれが強い印象として残ってます
家族四人でだと…
砂湯でキャンプして
アブに刺されたこと
十勝に行って
吊るされた牛の肉を
塩コショウで焼いて食べたこと
母さんとは
朱円(母の実家)のばぁちゃんと
kjと四人で
函館から連絡船で青森に行く最中
冷凍みかんを食べたことかな
父さんとは
小学校が学校閉鎖のときに
富良野までスキーに行ったよね
kjが流した板を
誰かが止めてくれてたこと憶えてる
まぁこんな風に
思い出そうとすれば
すぐに思い出せるので
寂しいばかりでも
なかったような氣もするね
俺には長男の宿命で
跡を継がねばならぬという
暗黙のプレッシャーが
ずっとついて回った
カースト制度じゃあるまいしと
自分が生まれた環境を
恨んだりしたこともあった
一番辛かったのは
じぃちゃんに
「早く帰って来い」と
云われたときだったけども…
だけど俺は
自分の人生を優先させて貰った
正直そこには
申し訳ないという氣持ちはあります
父さんとは色々あったけど
なんだかんだで
俺が人の道を外さずに済んだのは
父さんが父親だったからこそだと
そこは確信しております
ありがとうございました
ここから先は
父さんが本当にやりたいことで
楽しんで生きてください。
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あーなんか
想定してたのと違う感じになっちゃったな
まぁいいや
閉店時刻の頃に
家族LINEにコレ投下します。