さよならはいわない。

i will never say good-bye,my love

⑦涙で綴るパパへの手紙

シリーズ完結編です

 

①~⑥迄で

私と父の間で起きた

数々の抗争を綴って来ました

 

ですがもうこの先

父といがみ合うこともないでしょう

 

その理由は…

nozomyu.hatenablog.com

コチラの記事に書いた通り

 

本日にて

 

私の実家である

タカハシ時計眼鏡店は

閉店となるからです

 

この件に関して

 

父への労いの言葉を

母より促されおりましたが

 

今日まで私は

沈黙を貫いて来ました

 

何故ならば

今日この日が

 

父へのはなむけの言葉を贈るには

最適な日であると考えたからです

 

 

このブログにより

 

文字に起こして

過去を葬ることに成功しましたので

 

本日はこの場で

 

父へと宛てたメッセージを

創って行こうと思った次第です

 

以下完全なる私信となりますが

どうかご容赦ください<m(__)m>

 

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父へ

 

父さんがどんな思いで

 

今日この日を迎えたのか

俺にはわからないけど

 

先ずは長い間

本当にお疲れ様でした

 

こないだkj(弟)が云ってたように

昔は店が年中無休だったから

 

俺たちの学校が休みの日でも

あまり家族で出掛けた記憶はないけど

 

俺にとっては


その数少ない思い出の一つ一つ

それぞれが強い印象として残ってます

 

家族四人でだと…

 

砂湯でキャンプして

アブに刺されたこと

 

十勝に行って

吊るされた牛の肉を

塩コショウで焼いて食べたこと

 

母さんとは

 

朱円(母の実家)のばぁちゃんと

kjと四人で

 

函館から連絡船で青森に行く最中

冷凍みかんを食べたことかな

 

父さんとは

 

小学校が学校閉鎖のときに

富良野までスキーに行ったよね

 

kjが流した板を

誰かが止めてくれてたこと憶えてる

 

まぁこんな風に

思い出そうとすれば

すぐに思い出せるので

 

寂しいばかりでも

なかったような氣もするね

 

俺には長男の宿命で

 

跡を継がねばならぬという

暗黙のプレッシャーが

ずっとついて回った

 

カースト制度じゃあるまいしと

自分が生まれた環境を

恨んだりしたこともあった

 

一番辛かったのは

 

じぃちゃんに

「早く帰って来い」と

云われたときだったけども…
 

だけど俺は

自分の人生を優先させて貰った

 

正直そこには

申し訳ないという氣持ちはあります

 

父さんとは色々あったけど

 

なんだかんだで

俺が人の道を外さずに済んだのは

 

父さんが父親だったからこそだと

そこは確信しております

 

ありがとうございました

 

ここから先は

父さんが本当にやりたいことで

楽しんで生きてください。

 

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あーなんか

想定してたのと違う感じになっちゃったな

 

まぁいいや

 

閉店時刻の頃に

家族LINEにコレ投下します。