さよならはいわない。

i will never say good-bye,my love

①涙で綴るパパへの手紙

やりたくないことは

やらなくてもいい

 

某酢ピ田さんのブログに

共感しました

 

やりたくないことは

やらなくてもいい

 

これを端的に読むと

「怠惰」という意味に捉えがちだけど

 

やりたくないことを

敢えて二回はやってみて

 

その結果から

やっぱり自分にとっては

有益ではなかったと納得すれば

 

それは本当に

やらなくてもよかったことだと

云えるのだと思います

 

やりたくないことは

やらないほうがいい

 

ニュアンスとしては

この云い回しが近いかな

 

たとえ金銭的な利益が発生するとて

人間的には無益な時間を過ごすことを

 

私は昨日で

また一つ止めることにしました

 

もしかすると

自分がコミュ障なだけかも知れないけれど

別にそれでもいいや

 

 

こんな風に

無駄に長い前置きを書いてしまうのは

 

やっぱりこのテーマと

向き合うのが嫌だからなのかもな

 

今週のお題「おとうさん」

 

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遂に出ましたねー、コレ

 

こないだの日曜が父の日だったが故

 

今週のお題として

設定されたのでしょうけども

 

昨日までに

このお題で書かれた記事を

いくつか読ませて戴きましたが

 

他界されたお父様に対して

綴られたものが多かったように感じます

 

そう云えば

 

プリプリの「パパ」や

イエモンの「father」も

 

既に亡くなられた父親へと

書かれた歌でしたね

 

私の父親は

今日も生きています

 

去年から身体の半分が

少しだけ不便になっちゃいましたが

 

どこから書こうかな…

 

時系列で行きましょうか

 

父は厳しい人で

 

家族の前では

あまり笑わないし

 

「父さんが云ったことに間違いはなかったろ?」

 

が口癖だった

 

いま思えば

立派な「洗脳教育」ですね

 

確かに

小学校低学年の頃までは

ほぼほぼその通りで

 

私にとっての父は

絶対的な存在というか

 

『この人の考えはいつでも正しい』

 

そんな思いが20歳を過ぎても

根付いていた氣がします

 

父はことあるごとに

 

「男のやきもちほど

みっともないものはない」

 

とも繰り返しました

 

お蔭で私は

その通りの思想の人間に育ち

 

恋人が心変わりしたときや

男の影がチラついたときも

 

嫉妬には至らず

諦めが入ります

 

人の氣持ちを

コチラがどうにかするなんてこと

出来ませんからね

 

だけど女性同士の

微笑ましい友情を目にすると

 

俺もその場に交じりたいと

思うことはある 笑

 

話が逸れましたが

 

大人になってから

父の言葉の背景が視えて来ました

 

この話はいつか書いた筈ですが

 

その台詞は

 

社交的な母に対する

父の嫉妬心から来たものだった

 

私たちの授業参観に来れば

クラスの話題になるような女性でしたからね

 

我々兄弟にとっては

ちょっと自慢の母親でした

 

あ、今日は母の回ではないなw

 

このシリーズは続きますが

早く完結してほしいものです。