さよならはいわない。

i will never say good-bye,my love

④涙で綴るパパへの手紙

思い起こせば

12年前の出来事です

 

私はうつと診断され

その事実を

恋人りり子に告げました

 

りり子とは

最早婚約者のような間柄で

 

彼女は

私の母親とも仲が良かった

 

「心配性の母には

このこと絶対に云わないでくれ」

 

私はりり子に

念押ししましたが

 

翌日

母から連絡がありました

 

見事な連携です

 

「りりちゃんから訊いたよ

すぐこっちに帰って来なさい」

 

私は母の説得に観念し

仕事もバンドも全て辞め

 

少しの間

故郷に戻り休養することにしました

 

実家に帰ってからの日々は

ぼんやりとした記憶です

 

ノーストレスの状態で

当面生活の心配も要らない

 

何よりも

 

心療内科で処方された

薬が効いていた所為と思われます

 

思考停止状態ですね

 

感情が過敏になり

何かにつけて

よく泣いてはいたけれど…

 

そんな私に

父がつけ入ります

 

このとき私は

音楽で挫折を味わい

 

完全に生きる意味を

見失っていました

 

東京での生活を引き払って

故郷で第二の人生を送る

 

そんな話に持っていくことは

 

父にとって

容易かったことでしょう

 

私はそこに

異を唱える氣力もありません

 

父が提案するプランは

私に家業を継がせるというものではなく

 

町おこしの一環で

それにまつわる新規事業に

参入してみようということでした

 

丁度この時期

父は町議会議員でしたしね

 

父は何としてでも私を

あの町に引き戻したかったのです

 

ただこの案件

 

父は私に

都合の良い面の話だけを伝えて来ましたが

 

実際には

先行きが不安で不透明な部分も多く

 

母は賛成しかねてました

 

りり子に話の概要を伝えると

 

彼女は独自にリサーチを始め

関連するビジネスセミナー等にも参加し

 

この事業に関する問題点をまとめ

はるばる私の実家へとやって来ました

 

「はっきり云って無理があります!」

ストレートな意見をぶつけるりり子に

 

「貴女はこの家庭を壊す氣か?」

父は暴言じみた台詞で応酬

 

これには

強氣なりり子も泣き出す始末で

 

流石に私もキレました

 

この家族会議での論争が発端となり

 

りり子は意を決し

 

「のぞみューさんをこんな場所に置いとく訳にはいきません

私が連れて帰ります!!」

 

こうして私は

 

彼女に連れ出されるカタチで

再び関東へ戻ることとなったのです

 

りり子とはその後

 

お互い別々に

違う道を歩むに至りますが

 

うつを克服した後の

 

スッキリした自分の頭で

改めてよーく考えてみると

 

確かにあのとき父は

相当無謀なことを云っていた

 

私に帰って来て欲しいという氣持ちだけは

 

凄くよく解る

 

だけどいつも

そのやり方に問題があるのです

 

今年の春に

 

私はこの先も

故郷に戻る意思がないことを

 

はっきりと父に告げたのは

 

あれから10年以上経っても

 

【自分最優先】という父の考え方が

まるで変わっていなかったからです

 

「お前が一番自分優先してんだろ!」ってツッコミは

ナシでお願いします<m(__)m>

 

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明日は20代の私の身に起きた

 

自分史上最惡と云えるべく

エピソードを振り返りたいと思います。