さよならはいわない。

i will never say good-bye,my love

ずっとずっとずっと大好きな人

はてなブログから昨日

こんなメールが届きました

 

nozomyuさん1年以上の長きにわたってブログを継続いただいているユーザー様を対象に、 過去の同じ時期に投稿した記事を振り返るメールをお送りします。

 

実は今日書くテーマは決まっていたし

1年前にどんなことを書いたかも憶えていました

 

1999年以降

7月20日は私にとって忘れられない日だからです

 

私はあまり執着しないので

たとえどんなに好きだった人でも

 

一度離れてしまったのなら

もう二度と会いたいとは思いません

 

これは強がりではなく

今さら再会してもどうしようもないこと

わかっているからです

 

ですがもう一度

会いたい人は居ます

 

絶対に会えないんですけどね…

少なくともこの世では

 

nozomyu.hatenablog.com

 

去年の今日は

ばぁちゃんが亡くなった

その日の出来事を書きました

 

 (ここから一時間経過)

 

自分が何故

ばぁちゃんが好きだったのか

その理由を考えてみました

 

きっとそれは

他の誰より優しくされたからだと思うのです 

 

ここで云うばぁちゃんは

父方の祖母のことで

私は内孫でした

 

しかも

親戚一同の中で初孫

 

どれだけ周囲の

愛情を独占して来たことでしょう

 

幼少期に愛されて育つのがデフォルトだと

その後の人生で弊害が出る恐れアリだね 汗

 

うちのばぁちゃんは

決して怒りません

 

嫌な顔もしません 

 

困った顔は

きっとさせてしまっていたと思う

ごめん

 

ばぁちゃんは

怒りという感情を

持っていない人だった氣がする

 

一緒に住んでたときも

じぃちゃんと喧嘩していたことは

一度もない

 

じぃちゃんはよく

ばぁちゃんに怒っていたけど…

 

晩年のばぁちゃんは

痴ほうが入っちゃってたからね

 

ばぁちゃんの顔を思い出すとき

その表情はいつだって微笑んでいる

 

最後に会ったときは

病院のベットで寝ていて

 

起きてはいるのだけれど

意識が朦朧としているのは見てとれた

 

目はうつろで

反応はなかったけど

 

母が

「小さい頃まるまる太っていた望が来たよ!」

そう声を掛けると

 

ほんの一瞬だけ

ニコっと笑みを浮かべた

 

あれは氣のせいではないし

 

それがばぁちゃんと俺の

一番新しい思い出だ

 

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私は貴女のような

いつでもそっと愛を差し出せるひとが好きだ。