7年前の
あの日のことを思い出しました
14時46分には
黙祷し忘れたので
後からしましたけど
…あの日も普通に
仕事で電話に出ていて
自力で回答出来ないような
ちょっと難しい内容の質問が来たので
通話を保留して
詳しい人(ガリガリ君)に
訊きに行ったときだった
40になる手前だったけど
生まれて初めて
身の危険を感じるほどの
怖ろしい揺れだった
揺れが治まり
自分の席に戻ったら
保留中の通話は
既に切断されていて
電話番号が通知さていたから
同県の販売店からの入電だったのは判ったけど
(当時まだ私は販売店専任ではなかった)
先方が販売店名を名乗っていたら
一応架け直してみようと思って
その通話の録音を聴いてみたら
店の名乗りはなかったけど
保留中のマイクが
悲鳴を拾っていた
その後すぐに
この日の業務は終了となり
帰宅することに
途中でスーパーに寄ったら
ビールコーナーが
ぐちゃぐちゃびちょびちょで
大量に食料品を買い込んでる
家族たちの姿があった
そこから暫く
色んな物が買えなくなったよね
当時の彼女と
母親の安否確認を終えたら
行きつけだった接骨院に行って
呑気に漫画を読んでいた
家に着いたら
冷蔵庫の上のケトルが落下して
床が濡れており
アナログTVの上に飾っておいた
ガンダムの首が失くなってた
TVを点けてみたらば
あの衝撃的すぎる映像が・・・
氣付いたのは翌朝だったけど
安全装置が作動したらしく
ガスが止まっていた
翌日も会社に通常出勤したが
その日は結局営業しなかった
この地域では
計画停電が実施されて
交差点に立つ
明かりの点いていない信号機は
異様さを放っていた
ATMでお金を下ろせない時間帯が出て来たり
計画停電も
当日その時間になるまで
やったりやらなかったり
曖昧なもので
会社の営業時間も不規則になり
不満の声を上げる者も居た
当時仲良しだった
派遣会社のSVを勤めてた
みきてぃが
みんなにその件で責められて
可哀想だった
みきてぃは全然
惡くないのにな
それから幾日かが経ち
被災地の方から電話があった
「津波で全部流されちゃったから
商品の取説をもう一度買いたい」
この電話を受けてから
暫くの間
泪で電話に出られなくなってしまった
窓口運営上のルール違反だけど
自腹で送ってあげようかと悩んだりした
あの頃って
自然と人に優しい氣持ちになれた
だけど
いつの間にか少しづつ
俺は
それを忘れてしまっているように思う
平穏な日常が
一瞬で壊れてしまう様な事もあるのだなと
そう頭をよぎった
だったら自分は
どんな風に生きよう?
おのずと視えてくるよね。