さよならはいわない。

i will never say good-bye,my love

だけどあくせく仕事に追われて

今週もそこそこハードワークだったのだが

いつもとパターンを変えて

 

花の金曜日に

此方を執筆している

 

今回のテーマは

私の職暦

 

花さんのツイートに乗っかって

晒していた事を思い出したのだ

 

 

それでは

一つづつ見て行こう

 

 

其の壱~新聞配達~

 

初の職暦は中学二年生

 

ココナッツボーイズの影響で

ドラマーを目指した のぞみュー少年は

 

ドラムセットを買うために

新聞配達を始めます

 

結局ドラムが

ベースに取って変わられたのですが

 

厳寒の北海道に於ける早朝労働は

過酷さを極めました

 

当時より末端冷え性の私は

手袋を3枚重ねに装備していても

 

30分もすれば

指先が痺れ始めます

 

新聞を配り終え

自宅に戻ると

 

すぐさま布団に潜り包まり

その痛みに泪したものです

 

毎年雪が降れば

 

校則で自転車は

禁止となるのですが

 

新聞配達員だけは例外でした

 

冬タイヤに履き替えても

(自転車用もあるのです)

 

集合住宅を数件配り終わり

 

停めておいた

マイチャリのもとに戻ると

 

その僅か数分間で

 

泥除けとタイヤの間に詰まった

雪が凍り凝まり

自転車が動かなくなってしまう

 

なのでその都度

自前の木槌でコンコンッとやりながら

移動し廻ってましたね

 

しょっちゅう朝寝坊して

新聞社からの電話が鳴り響き

 

その都度対応に起こされる

母親には多大なる迷惑をかけました

 

…この話だけで

一記事分くらい書けるな…

 

 

其の弐~スーパーの店員~

 

高校二年か三年の

夏休みの間ですね

 

同じ町内といえど

バイト先のお店が

家から40㌔くらい離れていたもので 笑

 

近くのユースホステル

宿泊付き案件だったですが

 

その条件を

担任教師に電話で話すと

 

「通いじゃなければ許可できない」

と云われたので

 

「じゃあそうする」と

即座にウソをつきました

 

親には

「ミキヒト(担任)のOK貰ったから」

とだけ伝えて

 

 

其の参~メガネ屋~

 

私の実家は

眼鏡店なのです

実家(メガネ屋です)にオーダーしていた紫のが届いた 遠近両用仕様なのは( *´艸`)ナイショ♥︎#メガネ #紫

 

家業を継ぐという口実で

東京の眼鏡専門学校に通い

 

まんまと念願のバンド活動を

始めるに至る私ですが

 

修行(というか丁稚奉公)の名目で

専門学生時代の二年もの間

 

つつじが丘の小さな眼鏡店で 

(半強制的に)バイトをさせられました

 

給料はひと月4万円

 

何日出勤しても

ひと月4万円

 

休みは月のうち

実質2日間のみ

 

(毎週木曜は店休日だったけれど

学校があった)

 

これきっと

父親の差し金でしょうね…

 

問屋づての紹介だったと思われますが

 

店主とは全く反りが合わず

 

楽しい思い出など

一つもありませんでした

 

…何とか思い出そうとしたけれど

本当に何もない!笑

 

・・・

 

規定文字数を超えましたので

次回へと続きます。